育児書を読まないと不安な頭でっかち母です。毎日、わけもわからず追い詰められています。
毎日大変そうだけど追い詰められてはいなそうな友人に、「何がどうやって日々まわっているの??」と聞くと、適当だよ~~~って回答が返ってくるのですが、
実は適当ってすごく高度な技であるということを自覚していないなとその度に思います
料理もしかり。私はレシピをみないと料理が出来ないのですが、「適当でいいんだよ料理なんて~~」って言われるのですが、適当に出来るということは、適当にやってどうにでもなるスキルがあるという前提なのです。適当=いい塩梅って実は難しい。
その適当加減がどうやったらわかるのか?
それはきっと性格もあるし、育った環境もあるんじゃないかと思います。
料理だったら、小さいころから隣でお母さんが料理をしている姿を見てきたとか、後はもともと料理に興味のある人とかは自分から学んでいたかもしれませんね。
育児もそうですが、自分のお母さんへのあこがれや、お母さんみたいになりたい、みたいに素直に思える人はいい塩梅で育児をしているような印象です。もちろん日々大変だけど、いい塩梅、心で育児が出来るっていうのはそういう環境で育った人に思います。
そんなこんなで、育った環境というのは大人になってからの生きやすさに直結するなと常日頃から思うわけです。
毎日、どうやって子供と接していいかわからないと悩み続けている私は(みんなそうだと思うけど)だいたい本に答えを求めて色々な本を読み漁っています。
そして、いいと思ったことはすぐに取り入れるので、良くも悪くも反対意見の本に出合うと、「え?!違うの!?どうしたらいいの!?」とよく混乱しています。そうして若干ノイローゼ気味になるというわけです。
そんな混乱のなかでも、なんとなく日々の生活に取り入れやすいとしっくり来たのがモンテッソーリ教育でした。
何冊か関連本を読んで実践していることがあるので、それをご紹介したいと思います。
子供をよく観察する!モンテッソーリの本を何冊か読んで実践していること
モンテッソーリ教育が大事にしていること
結論!結局色々書いてあるし色々ノウハウがあるのですが、結局のところ何をすべきって、子供をよく観察すること、これだけなんですよね。
具体的には
これらをよく観察してみること。
もっと具体的に言うと、
例えば小さい子供あるあるですが、わざとコップの水をこぼしてみたり、食べ物を床に落としたり、ティッシュペーパーを出しまくったり、どれもこれもやめて~!!!と言いたくなるようなこれらの行動ですが、このすべての行動に意味があるわけです。
決していたずらをしようと思ってやっているわけではありません。
彼らはもうなにか、止められない脳からの指令、衝動をもとに行動しているわけです。
これをモンテッソーリ流に言えば、彼らの今やるべき「お仕事」になるわけです。
コップの水をこぼすのは、コップを傾けたら水がこぼれる様子を見るのが面白いとか、自分でコップを傾けたことによって水がこぼれるという過程がまだ当たり前ではないので、その過程を子供は観察して大発見しているとか。
それと同じく、食べ物を床に落とすというのは、物を離すことが面白い、それが落ちていくのが面白い。ティッシュを引き出すのは、物を出てくるのを見るのが面白い、自分で動かそうと思ってやった動きの成果がみえることが面白い。など。
まだ自分の行動と結果が繋がっていない段階なので、その過程を発見している段階なんですね。
何度も何度も繰り返して、コップを傾ければ水がこぼれるんだ、こぼさないようにしよう、というのちのちの大人にとって当たり前にしている行動に繋がっていくのだと思います。
それを、大人の都合でやめて~!!!こぼさなないで~~~!!食べ物無駄にしないで~~~!!ティッシュもったいない~~!!とお仕事を中断させてしまうことは、彼らの能力が伸びるチャンスを奪ってしまうことになります。
そういった一見いたずらな行動が見えてきたら、チャーーーーンス!なのです
モンテッソーリ教育のいたずらの捉え方
さて、とはいえ、好き放題コップの水をこぼさせる、食べ物を無駄に落とさせる、ティッシュを無限に引き出させるべき!なわけではありません。そんなことしたら母ノイローゼになります。
そんな状態になっても、とりあえず怒らずに(悪いことしてるわけじゃないので)コップの水がこぼれたね~~、あらー食べ物落ちたねー、無駄にしちゃだめだよ~くらいに言葉できちんと説明しつつ(やらないで欲しいことを都度説明するのは大事)、ささーーーっと片づけてその場は切り上げ、そんなやりたい欲を満たしてくれるおもちゃを与えてあげるといいらしいです。
コップの水をこぼしたい衝動を例に少し詳しく見ていきます。
コップの水をこぼしたいという衝動は、モンテッソーリ流には「運動の敏感期」あるあるだそうです。「敏感期」とは簡単にいうと子供が強く何かに興味を持ち、それを繰り返す限定された時期という意味です。その興味や繰り返しが、のちのちの生活に必要な運動能力を取得していくことに繋がります。そして「運動の敏感期」は、自分の手を動かしたい、自分の意思で思い通りに動けた時に喜びを感じる時期になるそうで、コップの水をこぼす行為も、これに当てはまるわけです。
自分がコップを傾けた結果、水がこぼれた。この因果関係に気づき、自分の意思でそれを達成した喜びに浸る。そんな感じでしょうか。なので、その行為をやみくもにやめさせようとするのはその成長のチャンスを奪うことになります。
結局いたずらはどうしたらいいの?
具体的にどうすればいいのか?
具体的には、コップの水をこぼしたい衝動があるとき、とある本ではコップからコップに水を移し替える遊びをさせてあげたらいいと書いてありました。でもそれだけじゃコップの水をこぼしたい衝動がおさまらないなと我が子を見ていて思ったので(結局見当違いなところにこぼしたがるから)
我が家ではお風呂場にコップを持ち込んでやらせてあげたりしています
あと、私が料理をしている最中に流しに踏み台をもってきて立たせ、流し台の中にコップやお皿、水筒、色々なものを与えて水道を出しっぱなしにしてそこで遊ばせる、という事もさせています。たまに流し台から外れて床に水をこぼしたりするのですが、それはもう絶対するだろうなと予想した上でやらせているので、バスタオルとか敷いたりと対策しています。
ダメ~!と言うとなぜかやって欲しくない行動がエスカレートするので(笑)基本的には、「ここに、こうやって、こうやって水こぼしたらいいよ」と流し台の中で適当に見せてそっちに誘導したりはしています(それでも外にこぼすときもあるけどw)。
そんな感じで、困ったことをしてくるときは、ではそのやりたい行動をどうやったらやらせてあげられるのか?を考えてあげるのがモンテッソーリのやり方です。
(私の解釈が間違っていなければ)
まとめ
全ての困った行動に(大人にとって)意味がある、と考えられたら少しは楽になるなと私は思いました。そうじゃなかったら、日々イライラしっぱなしです。なんでわざとビチャビチャにするんじゃ~~!!なんで食べ物握りつぶして投げるんじゃ~~~!!なんてテレビの画面叩くんじゃ~~~~!!やめてくれえええええ!!って毎日叫んで終わりますよね。笑
でも、少し冷静になり、なぜこの子は今これをしているのか?どういう衝動の素にやっているのか?そしたら、今どうしてあげたらいいのか?もしそれがわからなかったとしても、
という視点に変えることが出来れば、少しは気休めになりませんか?やみくもにダメ!!ダメ!!って連呼していると、子供もそうですが、そんな自分も嫌になりますよね。
どんなにその衝動を満たしてあげられそうなことをさせても、おもちゃを与えても、困ったことを全くしなくなるわけではないと思うのですが(やり方にもよるのかもしれないけど)、それでも子供をよく観察して、試行錯誤する行為というのは無駄にはならないと思います。
魔の2歳児、イヤイヤ期、モンテッソーリを参考に乗り切りたいと思います!
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